2014-04

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女の「価値」とそれに連なる諸々(3)

 このエントリは続きものですので、読まれる場合は下記からお目通しくだされば幸甚です。

「花房観音『楽園』」
http://mongamioko.blog36.fc2.com/blog-entry-339.html

「女の「価値」とそれに連なる諸々(1)」
http://mongamioko.blog36.fc2.com/blog-entry-340.html

「女の「価値」とそれに連なる諸々(2)」
http://mongamioko.blog36.fc2.com/blog-entry-341.html

 ネットスラングにスペックという言葉がありますね。仕様書という意味の英語が和製英語として「性能」を指すようになり、そこから意味が転化して個人のプロフィールというか社会的な記号というか、そういうものを指すようになった。
 匿名掲示板などで「私のスペックは20歳、顔はまあまあで~」みたいな使い方をするみたいです。

 そういう意味でのスペックが私と一番近いのが三人目の寺嶋蘭子(42)。
 同い年で独身、しかも安定しない仕事(蘭子は派遣社員、私は自由業)。まあ、彼女はなかなか美人な上におしゃれさんなのでそこは違うけど。
 でも一番違うのは、彼女はバツイチであるということ。一度は戸籍を汚しているわけです。まあ、羨ましい。
 ……などと蘭子に言おうものならきっと激怒されることでしょう。
 不幸な結果に終わったこの結婚が、彼女に癒えない傷を与えているからです。

 「蘭子はあることがきっかけで、女としての自身を喪失し、男の人とつきあうことが怖くなったまま、四十の坂を超えてしまった。」

 でも、外側から見れば、彼女はまだ「女としての価値」があると思われる程度の容姿を保っています。そりゃあピチピチの女の子というわけではないけれども、熟女系の風俗なら充分「商品」になる。そんな「スペック」の持ち主なのに、離婚後十数年間、一度も男性と関係を持つことがなかった。その理由は……ここでは書きますまい。
 ですが、その事実への不安や焦りを、変貌したみつ子が掻き立てます。
 この不安や焦りは、彼女が無神経な前夫から心の傷を負わされなければ生まれなかったはず。花房さんは、この作品で女の愚かさを書くと同時に、男のクズさを余すことなく書いています。
 身勝手で、思いやりのない男たち。読みながら、「ああ、いるいる。こういう男」と何度思ったことか。

 だけど、蘭子を見ていると思うのです。
 やっぱり、貴女は弱すぎるよ、と。
 一番スペックが近いのに共感できないのは、彼女の心の弱さに今ひとつ納得がいかなかったからでした。というよりも、夫に投げつけられた言葉にしがみついたのは、むしろ彼女だったのではないかと思うのです。
 蘭子は、離婚の原因を「性の不一致」と考えています。なるほど、それは間違ってはいないのでしょう。ですが、それだけだったのかというと……。夫側から離婚劇を語らせれば、また違う景色が見えてくるんじゃないかな。
 人間、人生で何か失敗した時に、ひとつの原因にすべてをおっ被せると楽ですよね。でも、大抵の場合、原因なんて複合的なものです。また、自分ではここが嫌われたと思っても、案外相手は他の部分で愛想を尽かしていたなんでこともあります。でも、いちいち自分のどこが悪かったかを突き詰めて考えていたら、もう自己嫌悪の塊になってしまう。だったら、一事を諸悪の根源にしてしまったほうが楽です。「傷ついた一言」を彼女は致命的な毒と思っているけれども、本当は彼女を支える支え棒になっているのかもしれない。だって、これが外れた時、彼女は……。

 蘭子は、ずっと王子様を待ち続けました。四十になっても、崖っぷちから救ってくれる誰かが来ると心のどこかで思っている。自分では登ろうともしないで。それはつまり依頼心であり、人としての弱さだと私は思うのです。彼女は確かに苦しんでいるのでしょう。でも、苦しんでいることを免罪符に人生サボっているような気がする。
 もちろん、誰もが強くあれるわけではありません。だけど、彼女にはポテンシャルがある、はず。それを生かさないのは、やっぱり甘えなんですよ。人に頼るほうが、そりゃ楽ですもの。
 蘭子の向こう側には、芥川龍之介の「六の宮の姫君」が見えるような、そんな気がしました。

 とはいえ、蘭子に王子様がやってこないかというと……まあ、そこは読んでみてください。
 ただ、ある意味、この作品に出てくる女達の中で、一番救いのないのが彼女かなあ。六の宮の姫君と同じような末路を辿りそうで……。
 そうなってしまうのは、彼女自身のせいだと思うんですけどね。

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女の「価値」とそれに連なる諸々(2)

 このエントリは続きものですので、読まれる場合は下記からお目通しくだされば幸甚です。

「花房観音『楽園』」
http://mongamioko.blog36.fc2.com/blog-entry-339.html

「女の「価値」とそれに連なる諸々(1)」
http://mongamioko.blog36.fc2.com/blog-entry-340.html

 
 二人目。唐沢マキ(38)。
 私にとって、おそらく永遠の謎である女性が彼女です。
 彼女は、自分がセックス好きであることを自覚しています。そして、そうなったのは夫のせいだと考えています。
 その夫が単身赴任で遠くに行き、一ヶ月に一度程度しか体を重ねる機会がなくなって、彼女は性欲を持て余し、バイト先で知り合った若い男と寝るようになります。

 この男というのが、まあ感動的なまでに若くて性的に頑丈という以外取り柄のない男なのです。他の住人に「いつも口を開けてる男」、つまりパッパラパーと評されるような男。そして、内実もその通りなのです。

 それなのに、マキは離れられない。この男はパーなだけではありません。下手をすればマキの人生を破壊しかねない愚かさを持つ。それなのに、単に体がいいというだけで、マキは離れられない。

 これが、私にはよくわからないのです。
 念のため申し述べておきますが、「女が男の体に溺れるなんてありえないわ!」とか、そんなことを言っているわけではありません。女は心がないと楽しめないというのは半分本当で半分嘘だと思っております。つまり、体の相性だけに惑溺することもありうるでしょう。

 だけど、だ。
 男がリスクになりうると思った時、女は切ろうとするんじゃないだろうか。
 女が恋で人生をダメにすることはあると思います。でも、肉欲でダメにすることはないと思う。男と違って。こいつはマジで自分の人生の役に立たない。そう思ったら、すっと冷めるのが女じゃないんだろうか。そこは男よりはるかに現実的なはず。

 だけど、マキは違います。どうしても、男から離れられないのです。
 いくらでも代わりはいそうなしょーもない男です。なんならバイブ代わりなんじゃないの? と問いかけたくなるような男です。でも、マキは手放そうとしない。

 ここに、性というものの奥深さというか、底なし沼的な何かを思い知らされるのです。
 花房さんが本作で描いたのは愛ではなく性です。もしかしたら愛よりも逃れられないものです。生きる意欲が尽きても根源的な食欲や睡眠欲は残るように、人を愛する気持ちが失せても性欲は残るでしょう。
 そういったレベルで、マキは男を求めているのではないか。

 マキの選択は、私には全く理解できないものでした。だからこそ、彼女の人生をおもしろく感じるのです。
 
 ある意味、女としてもっとも正直なのがマキなのかもしれません。

 

女の「価値」とそれに連なる諸々(1)

 昨日は花房観音さんの新刊『楽園』に関する記事をアップしましたが、本の紹介に終始したので、本日は読みながら思ったことなどを、少し。

 花房さんは、今回の作品で、女としての現役終了を言い渡されそうになっている世代が、今更のように慌て始める姿を、いくつかのパターンで描き出しました。

 昨日のエントリにも書いたように、冴えない女が狂い咲きを始めたのを目の当たりにした女たちが、知らず知らずに封印していた「女としての人生」があることを思い出すことで、錆び付いていた歯車が回り始めるのですが、その過程で彼女らに去来する思考が非常におもしろい。

 たとえば、本来なら小金持ちサラリーマンの幸せな奥様としての人生が待っているはず温井朝乃は、夫が独立して始めた事業の失敗で平均ちょっと下のパート人生を送ることになってしまいます。
 それでも、給料はちゃんと入れる夫と二人の子供をそれなりに独立させた事実を盾に、世間並みの幸せは保っていると自分に言い聞かせ、なんとか精神の均衡を保っていました。
 ところが、夫を失うことで自分より不幸になったはずのみつ子が、みっともない姿とはいえ新しい人生を謳歌しているのを見て心が揺さぶられます。

 あれ、あの人、私より不幸なはずなのに、なんで楽しそうなの?

「世間並み」を幸福のメルクマールにしてきた人にとって、世間並みを満たす要素を欠いている人が幸せに見えるほど不安で不快なことはないでしょうね。
 しかも、朝乃は気づいてしまうのです。今の自分は誰にも女として見てもらえるような存在ではなくなっていることに。
 過去のこと……主に夫の自分に対する振る舞いを回想する朝乃への、花房さんの筆はそれはもう容赦無い。
 せっかく、自己啓発系のお軽いポジティブ・シンキングとプチ・スピリチュアルによって閉じ込めていたドロドロの思いを、あっさり引っ張りだしてしまうのですから。

 あらまあ、かわいそうに。
 そう思いながら、彼女の狼狽を鼻で笑ってしまう私がいました。
 欺瞞に満ちた人生を送っていたくせに、ここに至って被害者面とは厚かましい。そう思ったのですね。
 彼女は自分の家族は「いい家族」だと思っている。
 だが、内実はどうか。
 子供は別段親孝行でもなく、夫は外で浮気している。おそらく、朝乃が自分で思っているほどには、彼女は家族に必要とされていない。
 母としての役割はすでに終わった。小遣い用ATMとして以外、子供は朝乃を必要としていない。
 夫は家政婦兼稼ぎ手としては必要としているだろうが、女としては終わった存在だと見ている。ようするに便利な同居人です。
 
 よくある話ですよね。ほんと、ごまんとある話。だから、多くの女性は見ないことにしている。アイデンティティを脅かす事実に真っ向から向かい合うなんて物好きな哲学者がやってればいいことですから。
 でも、花房さんは、そこを突いていきます。

 そして、罠を仕掛けます。強烈なフェロモンを漂わせる若い雄という罠を。

 さて、「平凡だけれども幸せな(はずの)主婦」はどうでるか。

 それは読んでのお楽しみですが、朝乃は実におもしろい反応を示しました。結局、朝乃はバカにしていたみつ子より、もっとバカだったとしか私には思えません。

 ただ、朝乃に対する冷笑は、自分の中のある場所を刺激する結果にもなるのでほどほどにしておいたほうがよさそう。

 ……なにやら、思ったよりこのエントリは長くなりそうです。続きは、また明日。


楽園楽園
(2014/04/09)
花房 観音

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花房観音『楽園』

 花房観音さんの新刊『楽園』を読んだ。


楽園楽園
(2014/04/09)
花房 観音

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 公式のあらすじは、こうだ。

京都でも特別な意味を持つ街、「楽園」と名付けられたその一帯は、かつて男が女を抱きに訪れる場所だった。お茶屋の跡に建てられた白い壁のアパート「楽園ハイツ」そこに住む6人の女たちの間で静かに熟成される、うぬぼれ、疑い、焦り、嫉妬。京都の川沿い、かつての花街でひとりの女が美しく変身した。戸惑う隣人たちが行き着く先は楽園か、地獄か?




「かつての花街でひとりの女が美しく変身した」と書かれている。
 だが、「かつての花街で寡婦になった女が狂い咲きし始めた」が正確なところだろうか。

 夫を亡くして身も世もない風情だった四十五歳のみつ子が、突然高校生の娘顔負けの若作りをするようになり、同じアパートに住む女達の疑念や嘲笑を買うようになる。
 未亡人が美しくなるというのはよくある話だ。しかし、変化が急激かつ常軌を逸しているなら、その陰には男がいる。
 そう、女達は、つい先日まで自分達と同じ「冴えない女」だった女が男を得たこと、そしてどうやら自分達が知らないどこかへ行きかけていることを敏感に嗅ぎつけ、心をかき乱されていくのである。

 登場人物の多くはいわゆるアラフォーと呼ばれる世代。
 「女」としては引退の年齢が迫ってきている。だが、みつ子の変化がなければ、引退勧告が目前にあることに気づかぬふりをしたまま暮らせたはずだ。
 著者は、そんな女達、つまりはアラフォー女の大半に「本当にそのままで終われるの? 終わっていいの?」と問いかける。そして、その問いから目を背けさせないよう、六人のサンプルを用意した。

温井朝乃(47) パート勤めの主婦。二人の子供は独立。かつかつの生活ながらも自分は幸福と思うことにしている。
唐沢マキ(38) 夫は単身赴任中。不妊症のため子供はいない。近所の百均でアルバイトをしている。
寺嶋蘭子(42) 薬剤師。独身。年齢のわりには若く見え、自身も身ぎれいにするよう心がけている。
和田伊佐子(44) 主婦。リストラされ失業中の夫とは数年前に結婚。いわゆる略奪婚。
田中芽衣奈(17) 高校生。登場人物の中では唯一容姿に恵まれている。父の事故死によって生活が一変する。
田中みつ子(45) 事故で夫という頼みの綱を突然断たれた専業主婦。

 専業主婦、共働き、別居、独身、死別。
 現代女性なら、このどれかのカテゴリに入るだろう。つまり、必ず「自分」がいる。
 この手法は著者の出世作となった『女の庭』でも使われている。だが、『女の庭』の彼女らが身の内に宿る性的快楽への欲望に翻弄されながらも「今の生活の維持」という最後のラインは死守していたのに比べ、『楽園』の女達は、半ば強制的にその先に送られていくのだ。

 私は、本作を花房小説のひとつの到達点と見た。徹底していやらしさをむき出しにする女たちを決して嫌いになれないのは、彼女たちが真の意味で等身大の女だから。つまるところ「私」だ。男の幻想も女の取り繕いも入り込む隙はない。徹底したリアリズムで書かれた女の姿は、こうまで醜く愛おしいものか。
 また、本作での「性の快楽」はすでに楽しむものではないようだ。人を蝕み、苦しめる。だが、どれほど苦しんでも逃れることはできない。生きている人間、女だから。そして、苦しみの代償には、途方も無い悦びがあることを本能的に知っているから。

 みつ子という道化に対する女達の侮蔑は、ブーメランとなって自身に突き刺さり、壊していく。みつ子の姿を通して自分のコンプレックスが浮き上がる。見ないままにしたかった「女としての人生」を嫌でも意識させられる。そうして、ある女は壊れ、ある女は解放されていく。
 そんな彼女たちの姿を見るにつけ思う。エデンの園、無垢しか許されぬ楽園は、はたして本当の「楽園」なのか。

 この作品は女の人生のリトマス試験紙だ。登場人物の誰にシンパシーを感じ、何に反発するかで、嫌でも自分の人生が見えてくる。
 私の場合、温井朝乃は嘲笑の対象、唐沢マキは理解できず、寺嶋蘭子を哀れに思い、和田伊佐子には胸がすく思いがした。本書を読んで、左記の反応を分析すれば、私という人間のコンプレックスの在処がたちどころに暴かれるだろう。怖い怖い。

 また、この作品は薬でもある。
 「平凡だけど幸せな女」と自認していれば毒に。物足りなさを薄っすらと自覚していれば劇薬に。
 普段から毒にまみれているなら、癒やしの妙薬に。

 禁断の果実は、りんごだという説がある。その色の表紙を持つこの書は、花房観音が女につきつける禁断の果実だ。
 女は誰しもイヴの末裔。「この実を齧ってみる」しか、選択肢はない。


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プロフィール

門賀美央子

Author:門賀美央子
名前 : 門賀美央子
     (もんが・みおこ)
職業 : フリーライター
メールアドレス : info@monga.jp
※スパム対策として@を全角文字にしております。メールを下さる場合は、@を半角に直してください。

主な執筆分野は
・人物インタビュー
・文芸諸ジャンル
・仏教など宗教系
・神社仏閣/伝説探訪記事
・日本の伝統芸能/文学
・サブカルチャー系「歴史・民俗」「オカルト」などのジャンル
・各種書籍構成

 WEB幽連載記事「全国神社仏閣お化けつき 」 
  URL: http://www.mf-davinci.com/yoo/index.php

 ブログ「百観音巡礼」
  URL: http://ameblo.jp/nihonjyunrei/

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